vol.16 — ハワイのカウボーイ「パニオロ」とパーカー牧場 —
ハワイ島の中央部やや北寄りに位置するワイメアの街。
ここは「パニオロ」と呼ばれるハワイアン・カウボーイの街でもあります。
パニオロの歴史はハワイ州最大、アメリカ屈指の牧場、
160年以上もの歴史を誇る「パーカー牧場」に端を発しています。
パーカー牧場は総面積約700平方キロ、ハワイ島の約9%の土地を
占めるほど大きな牧場です。
その大きさは東京23区の1.2倍。23区がすっぽり入ってしまうほど広大な面積です。
1793年、イギリスの船乗りジョージ・バンクーバーが
カメハメハ1世に5頭の牛を寄贈したのが始まりです。
カメハメハ1世はすぐさま5頭の牛に触れることは禁止であると民衆に伝えました。
牛を早く成長させ、牧場を成功、発展へ導くためのカメハメハが考えたひとつの方策でした。
素晴らしいアイデアのように見えたこの計画は残念ながら裏目に出てしまいます。
温暖な気候で豊富な食料、さらに天敵のコヨーテなどがいないハワイで
牛は瞬く間に繁殖し増殖し、野生化していきました。
野生化した牛は暴れ出し、ワイメア地域の住民に多大な迷惑をかけるところまでは
想像が及びませんでした。
牛は人が住む敷地に入り込んでは暴れ出して家を壊し、
ひどいときには人を傷つけ負傷者まで出す状況でした。
これには困り果てたカメハメハ。
そのとき白羽の矢が立ったのが、
イギリスからやって来た船乗りジョン・パーマー・パーカーでした。
パーカーは1809年、彼が19歳のときにカメハメハと出会い、
かわいがられていた人物でした。
相談を受けたパーカーは牛を捕まえて屠殺して塩漬けにし、
ハワイ島に往来する捕鯨船に売ることにしました。
とはいえ、牛も必死に逃げますし、環境に慣れてしまった牛を捕まえるのは一苦労でした。
一番優秀だと思う一頭の牛だけは、パーカー自身が育てるために生かしておきました。
パーカーを気に入ったカメハメハ1世は孫娘のキピカネを
パーカーの妻として結婚させました。
その後、カメハメハ3世の時代に土地の所有が認められるようになると
彼はマウナ・ケア山のふもとに土地を購入しました。
その後、カメハメハ3世から広大な土地を借り受けたパーカーは
1847年に牧場を始めることにしました。
彼が育てようとしていた一頭の優秀な牛もこの牧場で育ったようです。
1832年、3人のメキシコ人がワイメア地域の人たちに牧場の運営方法を
教えにやって来ました。パニオロの文化が始まったのもこのときです。
「パニオロ」という名前の語源はハワイの牧場で働くためにメキシコから
やって来たカウボーイがスペイン語を話したことから、
スペイン人やスペイン語を表す「エスパニョール」という言葉が
「パニオロ」に変化して、そのままカウボーイの意味で使われるようになりました。
馬に乗りながら縄を投げて牛を捕まえるという
カウボーイお決まりのスタイルが次第に定着していきました。
パーカー牧場の敷地内には、常時3万から3万5千頭の牛がいて、
250頭の馬を率いてパニオロが牛の群れを束ねています。
現在でもパニオロは当時と同じスタイルで馬を操り、
また定期的にロデオを見せて、地域住民や観光客を沸かせています。
ワイメアの街にあるパーカー・ランチ・センターには
パニオロの歴史がわかる資料館があります。
また牧場ではハワイ島の山々に囲まれながら大自然を堪能する乗馬もできるほか、
ワゴン・ライドや四輪バギーなどのアクティビティも楽しむことができます。
牧場主、パーカー家の大邸宅と美しい庭園に興味があるなら
ルート190沿いにある「パーカー・ランチ・ヒストリカル・ホームズ」へ
行くといいでしょう。
ここでは「マナ・ハレ」と「プウオペル」と呼ばれる2つの邸宅を見ることができ、
パーカー一族の繁栄ぶりと暮らしぶりが伺える場所となっています。
【Profile】
千田 育(せんだ やすし)
ALOHA ‘AINA CONNECTIONS主宰 。
『癒しのパワースポット ハワイ』(アールズ出版刊)シリーズ4冊を執筆。
モノで満足するハワイより、心に深く刻まれるハワイの魅力、自然からの学びや
ハワイアンの精神性などを人々に伝えるアロハ・コネクターとして活動中。●ALOHA ‘AINA CONNECTIONS
https://www.facebook.com/AlohaAinaConnections

























